※多くの個人塾は後継者問題で悩み、結局は一代で終えるというケースが多い。親から子へと事業継承を行った塾で、50年以上の歴史を持つ塾は数えるほどだ。今回、取材をした藤原学園は創立62年であるが、創立時の教育理念は変らず、さらに具現化し引き継がれている。「子どもは本来好奇心のかたまり、さまざまな体験を通して成長するもの。知識偏重ではなく、自然体で物事に取り組む中で、自ら学び解決する姿勢を持つ子どもたちを育成したい」(教育理念)
子どもは本来好奇心のかたまり
――藤原学園の創立はいつですか。
藤原 父の藤原 信(愛称:ひげ先生)が1956年(昭和31)5月27日に本部校となっている今里で開塾し、当初より理科実験を実施していました。
――その時代では珍しいですね。
藤原 はい。ひげ先生は前職が小学校の教員でした。とにかく、ユニークな授業をしていたようでした。例えば、宿直の夜に子どもたちを学校に呼んで、天体観測をしたり、早朝や放課後には子どもたちと実験を重ねていたりしたそうです。当時の学校はまだまだ自由で柔軟な校風があったのでしょう。
――良い時代でしたね。その後に開塾を。
藤原 時代が落ち着くにつれて学校教育は画一化し、冒険を好まなくなったのでしょう。父のような授業は認められなくなったのです。その後転機が訪れ、小学校を退職。教育の理想を塾に求め藤原理科実験教育研究所を開塾したのです。
――なぜ、理科実験なのでしょう。
藤原 子どもたちの反応がダイレクトで、授業をする側も受ける側もわくわくするというのが一番大きな理由ですね。結果だけにとらわれることなく、結果にいたるプロセスを解明する中で新しい発見があり、思考力が養われていくというのがいいんです。
――しかも、小豆島にある「星くずの村」で合宿をしての実験学校がスタートします。この施設はひげ先生が個人的に建設されたのですね。
藤原 はい。最初、自然体験は教室ではできないと、近くの山や琵琶湖などを訪れていましたが、子どもたちの目の輝きを目の当たりにして、ひげ先生は「星くずの村」の建設構想にはいったのです。
――なるほど。
藤原 毎年、少しずつ施設を建設していましたね。広大な敷地で現在、1万平方メートル(3千坪)の自然の中に第1〜第9宿舎まであります。星くずの村には子どもたちの好奇心に応える要素がいっぱい詰まっています。全部完成するまで約40年かかりました。
理科実験は生徒との真剣勝負
――眞也先生が、その後塾を引き継がれていますが、その経緯は?
藤原 私は小学生の頃から父の塾で勉強を教わっていましたから、父の背を見て育ったのです。とにかく実行力のあるダイナミックな父でした。教育に対する考えかたはめちゃくちゃ影響を受け尊敬もしていました。その後、大学生のときにアルバイトで塾を手伝うようになり教職免許は持っていましたが、それよりも塾で教えようと決めたのです。
――それから親子で、塾運営ですね。
藤原 はい。私はまだまだで、教わることばかりでした。理科実験のときに、ひげ先生の授業を見てノートをとることができたことはラッキーでした。何時何分から授業が始まり、5分ぐらいはたわいもない話をしているとか、それだけで授業が終わってしまう場合もありました(笑)。実験の順番とか、時間の配分とかも書いています。そのノートは今でも持っていますよ。ただ、ヒゲ先生はベテランだから、生徒たちの様子を見て内容が変わる。結局は自分で予備実験を何回もして、自分なりの工夫や研究をしていかないとだめでしたね。
――塾を引き継いだ時期は?
藤原 ひげ先生の晩年には、全て私に任されていましたので、自分が引き継いでいくというのは自然な流れでした。あえて、肩に力が入るということはなかったですね。
――現在、先生は何年生を対象に実験をされているのですか?
藤原 小1〜中3まで、全学年受け持っています。
――それは幅があり頭の切り替えが必要ですね。
藤原 基本的には一緒ですよ。でも、中学生になると、しょうもないことを言うと冷ややかな目で見られるから、多少は知的なことも言います(笑)。とは言え、大阪人ですから、つい笑いを入れてしまいます。
――実験をしている時の生徒の喜んだ表情とか目の輝きとかが、忘れられないと言われていましたが?
藤原 それがないと、こっちも落ち込みますよ。うまくいかないときもありますので。子どもらは本当に正直なので、「今日はおもしろくなかった」とか口に出す子もいます。そういうときは、自分に言い聞かします。「次は絶対に喜ばしたる!」(笑)と。
ほんとうに真剣勝負なんです。特に理科実験は。それがうちの一つの売りですから、ある意味、すごい緊張感を持ってやっています。
――絶対に喜ばしてやると。
藤原 その通り。でも、毎回なかなかそうはいきません。
―― 一般的に理科実験ばかりやっていたのでは、受験につながらないのでは?という御意見がありますが。
藤原 いいえ。大阪の公立高校の入試問題では、大半が理科実験に関する問題が出ます。中学校の中には実験をしない先生もおられますので、教科書だけの勉強だけでなく、体験をした生徒さんとの違いは、大いにあります。
――理科実験以外に、教科指導もされておられますから、藤原学園の授業概要を教えてください。
藤原 メインは小中対象です。小3から小6までの授業は、国・算・理( 実験)。英語は選択です。中1から中2までは英・数・理(実験)。中3は5教科です。定期テストの時は、テスト対策も実施しています。また、ジュニアサイエンスコースとして小1から小6対象に理科実験のみのコースもあります。中学受験にも対応しています。
しかし、テスト対策などで理科実験がないときは、何か物足りないのでしょう、生徒たちからブーイングがおこります(笑)。
スタッフは全員、卒業生!
――毎回、授業に実験が入ってくると、スタッフ陣も大変ですね。新しい先生を採用されるとなると、研修とか指導はされるのですか?
藤原 まず、授業を見学してもらいます。実験の数が多いので、他の先生の授業を見るチャンスはよくあります。ただ、実験の項目が200は超えていますので、ノウハウをきちっと作ることは難しいです。いまは少しずつ伝授していますが。
実験は生き物なので、子どもたちの反応があまり良くなければ、その時は実験方法を改善します。もっと違う形でアプローチをしていくため常にネタ探しです。
――そうなると先生方のスキルが重要ですね。スタッフは何人おられますか。
藤原 専任が6人。助手(講師)が15人ほど。すべて、うちの塾の卒業生ばかりです。私が教えた卒業生もおります。
――塾のことをよくご存知の方ばかりなので、学園長としてはやりやすい。
藤原 たぶん、卒業生でないと、このシステムはなじめないでしょうね。みんな、生徒の面倒を見出すと時間を忘れてしまうから、何時勤務とか決めにくいのです。土日も合宿で小豆島へ行ったりしますから。以前は外部からの先生も何人かおられましたが、続かないですね。
盛況に終わった冬の実験学校
――今年の1月13日と14日に行われた実験学校はいかがでしたか。
藤原 2017年度の実験学校は年8回の実施で、今回は最後の8回目でした。外部からの募集で参加してくれた子ばかりです。兵庫県や岡山県からも参加して頂き、総勢で40人でした。全部の回に参加した生徒も3人いました。
――どういう内容でしたか?
藤原 ロボットを作りました。水圧でアームが動くロボットです。小学校から中3まで全員、同じ内容です。いろいろなパーツがあり、取り扱い説明書だけで90頁。スタッフの10人は全員が小さい子に付き一緒に作りました。その他は全員自分で作り、早い子で4時間、一番長くかかった子は7時間でした。
――それはすごい。
藤原 工作をやった以上は完成させなければなりません。完成したときの達成感は自信につながりますから。
――私学や学習塾でも星くずの村は利用できるのですか?
藤原 はい、大阪の桐蔭中学さんはもう20年以上、私どもが実験を担当しております。中1生ですから初々しいですよ。こちらのやることなすこと、ドーンと受けてくれますから(笑)。我々もやっていて楽しいです。奈良の育英西の中学2年生。女の子ばかりですが、いつもとてもパワフルです。他に常翔啓光さんの化学部の生徒さんもご利用頂いています。
――夏休みなどは、格好の場所ですから、もっと多くの方に知って頂きたいですね。では、最後に藤原学園の今後の方向性を教えてください。
藤原 もう少し体験(実験・合宿)を増やしていこうと考えています。今は、参加者は大阪中心ですが、これを中国・四国にまで広げていきたいですね。塾生はすでに夏の20キロオリエンテーリングとかボートツーリングなど、実験以外の体験を実施していますが、外部にも広げていければいいかなと。ただ、危険性を伴うので、やる勇気はいりますが・・・。
――リスクは伴うが、子どもたちの達成感はそれ以上にありますか?
藤原 そうです。どっちかにウエートをかけた時に、やはりこういう体験は子どもたちの将来に生きるだろうと思います。達成感を味あわせたいですね!
※話しは尽きなかったが、藤原眞也学園長の表情は子どもたち同様に輝いていた。実験はある意味、非効率的だ。準備に時間はかかるし、やることは1つか2つ。危険を伴い、終わったあとの片付けもある。30分ほどで終わる説明も1時間半をかけると云う。しかしだからこそ、子どもの心は動く。「発見の喜び」や「作り上げた達成感」が子どもたちの学ぼうとする心を大きく育てる。それもこれも、藤原学園の眞也学園長はじめ先生方の熱意ある姿勢があればである。先代の教育に対する情熱は引き継がれている。 |