企業は困っている、悩んでいる
企業の若手社員に対する顧客不満足をアンケートで調べると、毎年次のようなさまざまな声が聞こえてくる。
- 「雑だ、荒っぽい、乱暴」
- 「ミスが多い、いい加減だ」
- 「不親切、気が利かない」
- 「気づきがない、無頓着、理解力がない」
- 「基本を知らない、マナーを知らない、常識がない」
- 「気配りがない、気遣いがない、対応が悪い」
- 「機転が利かない、臨機応変に対応してくれない」などなど。
そこでこれら顧客の声を経年変化でとらえ、求められている要素の順に置き換えると次のようなキーワードに集約される。
すなわち「気づき」「気配り」「気遣い」がない、である。
ちなみに「気づく」=それまで意識になかったことにじぶんからふと発見し思い当たる(角川国語辞典)、気がつくこと、心づくこと(広辞苑第四版)。「気配り」=あちこちに広く、細かく気をつかうこと(角川国語辞典)、不都合、失敗がないようにあれこれと気をつけること(広辞苑)。「気遣い」=あれこれと気をつかうことや心配(角川国語辞典)、あれこれと心をつかうこと、心づかい、気がかり、心配すること(広辞苑)。
英語では「気づき」=notice・perceive・find out・think of・become aware・be conscious of・get wind・sense・suspectなど 。
「気配り」=Vigilant・attention・watch・care・worry・careful of・be attend ofなど
「気遣い」=fear・anxiety・worry・concern・uneasiness・solicitudeなど(以上研究社英和辞典)、
少しニュアンスは異なるが洋の東西を問わず、示す意味は何れも大同小異といったところである。
何れにせよ『気づき』『気配り』『気遣い』の三つの気が顧客から要望されているポイントであることは間違いない。しかし企業は、年を追って顧客から寄せられる不満の増加に頭を痛めている。
「入社早々の若手社員に、3時から始まる会議用にこの資料をコピーして、10人分を会議室に置いてきて欲しい」と依頼した係長が会議室に行ってみたら、次のようになっていてビックリしたそうだ。
- コピーが一カ所に重ねて置いてあった。
- 5ページほどのコピーは綴じてなかった。
- 逆さま、裏返し、白紙入りページどおりに揃えてない。などなど。
しかし、確かに「コピーをして会議室に置いてきた」と言われたとおりであったのだが、しかし、このように企業の先輩諸氏があきれ、驚くのも無理ないことが身近で頻発している。企業は頭を悩ませているのである。
“無”常識人間が増えている
一方、「え!こんな当たり前のことも知らないの?」という声も増加の一途である。
2007年2月20日(火)〜同年7月10日(火)まで毎週火曜日・日経産業新聞に半年間連載した記事のタイトルを「無常識社員を即戦力にする」としたが、それだけどの企業も悩みは同じというところである。
さて、“常識”があれば、“非常識”という表現が成り立つ。しかし、もともと常識がないのだからまさしく「無常識」となる。
その主たる理由は「親が子どもに教えていないから」という面が主流である。
本末転倒だが、常識・躾を家庭で行わずに、学校に依存する親が増えている。
「給食の時、子どもに“いただきます”“ごちそうさま”と言わせないで欲しい」という申し入れがあったので、その理由を聞いたところ「給食費をちゃんと払っているのだから」という唖然とする答えが返ってきた。
「うちの子を○○ちゃんと同じクラスにしないで欲しい」とか、学校のガラスに石をぶつけて割った子に注意したら、親が出てきて「校庭に石を転がしておく方が悪い」と文句を言いに来たなど、この手の話は枚挙にいとまない。
学校の先生もそうだ。
「運動会はウイークデーにしたい。土日まで仕事をするのは嫌だ。親が会社を休めばいいじゃないか」とのご託宣。
教師によるトイレでののぞき、スカートの下からの盗撮、教師が気に入らない生徒に対していじめを行うなど、聖職=「性職」、教師=「恐師」とお粗末しごくの事態が頻発している。これでは生徒が“無常識”になるのもうなずけるところである。
誠に情けない話だが、先ずは子どもよりは親、生徒より先生のための学校や塾が必要である。
企業の社会貢献活動に学ぶ
積水化学工業のグループ企業・九州積水工業(株)では、工場の周囲が自然環境に恵まれていることから、工場の周辺に5,000本の樹木を植え、緑に包まれた杜にしようとする活動が行われている。
先ずは近隣の公園でどんぐりの実を拾い、土づくり、ポット植え、育成、苗の植え替えという流れの活動である。
この活動のすばらしさは、とかくお説教、教室での知識の習得という言葉や教科書だけに依存することなく、子も親も共にドングリ拾いから一連の活動を実学として体験し、親子・企業のコミュニケーション、自然からの学び、またルールを知り、マナーを身につけるという、まさに地に足の着いた活動を行っている点である。
一般的に植樹活動を行っているものの、植え替え時に枯らしてしまうことが多い例に比べ、このドングリ5000プロジェクトは無から有を生み出す点で優れている。
以上は一例だが、積水化学工業のグループ企業各社では家族と共に海岸のゴミ拾いなど積極的な理論と実践の活動を行い、高く評価されている。
同様に、市村自然塾・関東では「企業と自然学校」という位置づけで社会、地域、企業、株主、社員が共に地球環境保全を軸にして次世代を担うリーダーの育成を目指し、青少年健全育成に取り組んでいるが、実は株式会社リコー創業者の故・市村 清氏生誕100周年事業として市村氏の名前を冠にして行っている活動である。
大地、自然に接する場、人とひととの関わり合いの場から「自然の助けを借りながら」「共に考え」「智恵を働かせ」「自らが汗を流し」「自らが成長する」を基本理念に、小学生4年から中学2年生の男女を対象に、親子共々取り組んでいる。
基本方針としては、「自主」「自立」「自律」により子どもたちが自ら考え、行動する中から気づきを体得する。スタンスとしては「指示し過ぎない」「命令し過ぎない」「教えすぎない」「世話をやきすぎない」が中核となっている。
小学生などの場合、親が連れてくるので、子どもと共に親も多くを学んでいるとのことであるが、自然塾に参加希望の子ども・親は増える一方、いつも満員の状態のため、すべての人たちの要望を受け入れられていない点は誠に残念である
このように企業が家庭、塾、学校などが抱えている各種の問題点をもはや放置しておけなくなり、自ら積極的な活動を開始している。
塾・学校・企業・役所がそれぞれ別々のことを考え、別々に行っているやり方はもはや限界である。
学力のみならず人間力の低下は日本にとっても大問題であり、致命傷になる。しかもこのままでは子どもたちが可哀相である。
この辺でむしろ先行している企業の例に学び、「塾と企業」、「学校と企業」、「塾と学校」、「塾と学校と企業」といった組み合わせで、それぞれ密なる連携の基に、本来の在り方をヨコ軸で取り組むと認識すべきであろう。
少子化の進行と事業の在り方
ある年に生まれた子どもたちは、減ることはあっても増えることはない。だから今後はますます少子化が進行する。
ところが一人っ子は甘やかされて育つから「自分中心主義」「個人主義」となり、あたかも売れっ子のタレントのように「人は自分に目を向けるもの」だが、「自分は人のことを注目する習慣が身につけていない」に進行している。
私どもの調査結果では、商品だけで差がつく比率はわずか7〜8%である。このデータは塾に置き換えても同様であろう。逆にいえば、92〜93%は総体的なサービスで人々は意思決定しているが、塾においてもサービスは同質化し、サービスマインドは下っている。このようにサービスが重要な時代に相反する傾向として『気づき』『気配り』『気遣い』の欠落する子どもたちが増えるのでは、時代と顧客の求めとの差がますます拡大するばかりである。
時代は高質サービスを求めているが、そうなればなるほど「人の能力」「人間品質」に依存するようになる。
私どもではキーワードである『気づき』『気配り』『気遣い』の三つの実を身につける「気の実アカデミー」“VCG=バリューチェーン・ゲーム”を実施しているが、その参加者と企業内研修は増える一方である。そして“身体”と、“頭”と“神経”を使って行うこのゲームは大好評である。
時代の変化をひしひしと感じるところだ。
VCGや顧客不満足度調査では業種・企業・組織といったタテ軸発想は人々から不評を買っている。業態発想、ヨコ軸発想、コミュニケーションなどの融合が求められている。
ヨコ軸や融合でなければ解決できない問題が圧倒的に多いからである。
塾とか学校といったタテ軸発想に加え、ヨコ軸ならびに連携し融合した取組が時代から求められているのである。
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