教師になるためには3つの要素がいる @情熱 A努力 B感性。 言葉としては簡単であるが、この簡単な言葉の中に教師が忘れている大きな宝がある。塾の教師になるための資格はない。つまり、何の教育も受けずに即教師である。これは、公立の教師になるのとほぼ同じで、何の訓練も受けずにすぐに教師になれる。
公立学校の教師になるためには、テストがいる。専門教科、教職教養、一般教養のテストである。専門教科のテストはそれほど難しくなく、教職教養のテストは丸暗記でそれほど時間をかけずに点が取れる。一般教養に至っては普通の社会人ならできる簡単なものである。塾の教師になるテストは何もないのである。
私は、以前から、塾を経営するのに、許認可が必要であると主張してきた。事もあろうに大事な子どもを預かるのに経営者はなんの勉強もしていないといっても過言ではない。要するに、塾も学校も教師として一番持っていなければならないものを試すフィルターを持っていないのである。
全国でリタイアーしている教師があとを絶たない。最近では京進における、殺人事件はその顕著な例である。何の訓練も教育も受けずにすぐ現場である。起こるべくして起こった事件である。暴力、セクハラは日常茶飯事である。不良品の教師が氾濫している。新聞紙上でいうM教師(問題ある教師)である。教師になるには、先ず専門の知識を持って当然である。これすらない教師が全国の塾に相当いる。「アホか」と言いたい。金儲けだけにうつつをぬかすな。塾といえども公教育の一翼を担っているという哲学観、倫理観がなければならないのである。実力、学力のない教師は自ら去れ。ここで私が提言したいのは、実力、学力があって当然の認識に立っての上の話である。
教壇に立つ教師は厳選して採用しなければならない。誰でも教師になってはいけないのである。
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