世の中はコロナの大流行で、教育現場を含めて大混乱だが、今月扱うのは古き良き時代の、浮き世離れした入試問題である。
最近、京大古文の解説執筆の依頼があり、ずっと昔の入試問題をあれこれ物色していたところ、【問題A】が目に留まった。古文の問題ではないが、昭和41年出題で、私が京都大学を受験した年の問題である。。
土井晩翠「荒城の月」の歌の続きを書けという変梃な問題が出たという記憶は今もあるが、改めて問題を見て思ったのは、「これをどう採点したのだろう」ということである。
「採点基準」はどうだったのか
現在の採点のありようをもとに、「採点基準」を考えてみた。
Ⅰ:問一で答えた「思想」を踏まえているか。
その四字熟語は「栄枯盛衰」か「天地有情」(この詩所載の詩集名)だろう。栄えていたものが今は衰えているさまをいう。それが詠まれていることがポイント1。
Ⅱ:「夏」または「冬」の情景をとり入れているか。
(一)~(四)は「花の宴」「霜の色」「鳴きゆく雁」「夜半の月」など、春か秋の情景が読まれている。それに対応するような夏・冬の情景を詠むことがポイント2。
Ⅲ:詩型が「七五調」で「文語文」となっているか。
この形式的要素がポイント3。
さて、この3つのポイントを機械的に当てはめるだけで、意味のある評価ができないだろう。採点基準の中では「ポイント1」の評価が難しい。出題者が期待しているのは、的確な情景を取り上げ・それと「思想」を関連づけ・それを表現する力だろうが、機械的に測るのは難しい。どうしても採点者の主観が入ってきそうである。
このような時には、執筆者の例解を示すべきだろう。
●東と西の 兵たちが
命をかけて 戦ひし
夏草茂る 関ヶ原
ああ兵の 夢の跡
私には文学的センスがない、この程度でご勘弁を。
それにしても豪快な問題である。少なくとも今の時代の模試や添削問題では、こんなのは出題できない。昭和41年はそれが許された、古き良き時代であったのだ。
兼好の姿勢をどう評価するのか
【問題B】は、同じ年の京大古文の問題である。出典は『徒然草』で、老人は不相応な努力をせず、閑暇な生活を送ることを勧める内容である。「芸」と「生き方」を重ねて論じているのでやや読みづらい。
問一は、空欄補充問題。「1=なり、2=はず、3=けれ」が正解。
問二は、「覺束なからず」の訳が面倒。直訳なら「わからなくはない・はっきりしない点がなくなった」となるが、意訳をするなら、「そのおおよその様子を知ったらならば、まあまあのところでやめておくのがよい」くらいが穏やかだろう。
問三は、設問の立て方が斬新でおもしろい。新テストの模擬試験にも使えそうだ。段階の最良がエ、最悪がイはわかりやすいが、アとウの処理が難しい。アは「努力しても上手にならないのなら、年老いて見苦しくなる前に止めるという態度」、ウは「ものごとはまあまあのところでやめて執着しないという態度」をいう。したがって、アは最悪の直前、ウは最良ではないが次善の態度ということになり、段階としては別だと判断できよう。正解は、四段階に分け、「エ⇒ウ⇒ア⇒イ」の順となる。
問四、「各自の意見」を求めてはいるが、本文の読みを前提に記述させるのだから、それなりに答案の評価ができよう。ただ多様な答えが想定される。
兼好に寄り添うなら、
●老後は、俗事を避け物事に執着せず悠々自適の生活を望むのは人々共通の心情であり、適切な評価である。
他方、兼好を批判するなら、
●年老いても物事に執着するのは当然で、途中で止めたり最初からやらなかったりは消極的すぎる評価である。
こんな問題をどうやって採点したのだろう。私たちはどうしても「好みや主観の入らない客観的な採点基準」を考えようとするが、なんとも難しい。ざっと読んで「えーい」と何段階かに分けたのだろうか。
東大はこんな問題を出題していた
【問題C】は、同じ年の東大の古文の問題である。『伊勢物語』の有名な段で、当時も教科書などに採られていたようだ。
それにしても、「はがき文」で「返事」をもとめるというのは、おもしろい。
その当時の参考書に載っていた解答例を引用させてもらう。
●お便りありがたく拝見いたしました。
私も公務のため心ならずもごぶさたいたしており申しわけございません。
死別などという大そう悲しいおことばに、ついひどく泣かされてしまいました。
かけがえのない母上のお命がとこしえに続きますよういつも神に祈っております私ですが、この私のためにも、永の別れなどということはこの世にはまったくなくてほしいものと存じます。
いずれお伺いできると存じますが、くれぐれも御身ご大切に。
本文を丁寧になぞりながら、母への思いを述べた美文である。それにしても、今はこんな問題を出題する勇気ある大学はなさそうである。
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