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中学・高校受験:学びネット

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2019/9 塾ジャーナルより一部抜粋

【新連載】「無限の可能性」の引き出し方 第1回

 今回より、しばらくの間連載を担当させていただきます、仲野十和田です。

 初めての方は、まずこの変な名前の由来が気になると思いますので、お伝えしておきます。亡父が、新婚旅行は母を十和田湖へ連れて行こうと思っていたところ、懐の都合がつかず断念し、その思いだけが私へ回ってきたようです。学生の時は新しい先生が来て名前を確認するたびに「仲野、名前は何て言うんだ」と言われ、そのたびに「"とわだ"以外に読み方ないだろ」と心の中で思いながら答えていました。シャイな私は「何で親はこんな変な名前を付けたのだろう?」と当時は嫌でしたが、今ではこの名前に感謝しております。

 私は、1964年に酒屋の長男として生まれました。この年は、東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが行われた年です。とても厳しい父に育てられ、小学4年生の時から、お店の手伝いをさせられていたので、中3の頃には、銀行の入出金、売掛帳の記入、商品の仕入れ、棚卸(酒屋の棚卸は、種類別ですべて容量確認しなければならないので結構大変です)もできるようになっていました。

 父から、「もう俺がいついなくなっても、とりあえず店は回せるな」と言われた時は、ちょっと嬉しかった記憶があります。よって、てっきり店を継がされるものだと思っていましたが、高校2年の時に「お前、もし酒屋をやりたいのだったら、違う土地で1からやれ!」と言われました。その言葉は衝撃的で、私に驚きと喜びを与えました。

 「ということは、継がなくていいんだな……」

 実は、店の前に大型スーパーがあったのですが、父は将来お酒の免許は自由になることを予測していたようです。その先見の目には今でも感謝しています。

「学校の先生になれば?」
将来を決定付けた何気ない一言

 さて、私が教えることに興味を持ったのは、中学3年生のころです。それまで、勉強をしてこなかった友人の何人かが、勉強を教えて欲しいと言ってきたのですが、教えてみると、「わかった! わかった! 結構勉強っておもしろいな!」と言ってくれました。今でもその光景は思い出されます。

 さらに、高校2年の数学の授業の時、担当の先生が「仲野、この問題をみんなにわかるように教えてみろ!」と言われ、チャレンジするとその先生から「お前、学校の先生になれば?」と。

 今思うと、私のモチベーションを上げるための言葉だったのでしょうが、振り返ると将来を決定付ける何気ない一言でした。

 そして、私は教員を目指すことになります。学生の時に塾でアルバイトをしていたのは、そのためです。お世話になった塾での仕事はとても充実していました。そして、予定通り母校へ教育実習に行くのですが、この時の校長先生が、私が中学の時にお世話になった理科の先生。一週間ほど経過し、学校の在り方に少々疑問を持っていたころ、校長先生に呼び出され公教育の愚痴をつらつらと聞かされました。

 その後十和田青年が、学習塾という道を選択するのにそれほど時間はかかりませんでした。すでに4畳半一間のオンボロアパートで「大学卒業まで」と思って、塾と掛け持ちしながら数人の生徒を集めて勉強を教えていたので、そのままスタートすることになったのです。昭和61年でした。

 さて、そこでまず必要になるのは、電話です。父に10万円の借り入れを依頼したところ、「甘えるな。その代わり、保証人になってやるから、銀行から借りろ!」と。

 その時は親を恨みましたが、よく考えると、子どもの自立のために憎まれ役を買ったのだと、だいぶ経ってから気づきました。とにかく父親とは服従と反発の関係でした(笑)。

 それでも待望の電話(7万8000円)は、手に入れることができました。開塾当初は、8文字しか表示されないワープロを駆使し、チラシをつくり、ポスティングから募集を始めました。それでもオンボロアパートに来させるのはリスクが大きいので、しばらくの間は電話が来ると訪問入会面談を行っていました。その場で、その生徒のわからないところを両親の前で解説するのですが、子どもの「わかった! わかった!」と、嬉しそうな姿を見せつけられたら、イチコロですよね。入会手続きに来た時は、そのオンボロさにはビックリされましたが(笑)。

様々なイベントを通じて
子どもたちの可能性を実感

 前述したように、私は教員になりたかった理由に、部活、合宿、休み時間、給食などを通して、子どもとの教育に関わることがしたかったことがありました。だから、様々なイベントを企画・運営しました。当時の優秀な学生講師たちも力になってくれました。

 今では、貸し切りバスで行っているスキー合宿も、当時は電車です。1年目は朝7時頃塾に集合し、スムーズにいきました。2年目も同じように集合して、最寄の駅へ行ったところ、どうも前年と様子が違います。

 「しまった!」

 実は前年は休日で電車がガラスキでしたが、この年は平日。都内のラッシュにぶつかりました。都営三田線で巣鴨まで行き、山手線に乗り換えて上野まで、果たして私一人で、約10名の生徒(下は小学4年生くらい)を引率できるか? そこでイチかバチか考え生徒に伝えました。

 「今から先生はハンカチのついたストックを上げて歩きます。ただし、君たちのことは一切見ないので、絶対にこのハンカチを見失わないで付いてきてください」

 きっと付いてきている生徒は必死だったと思います。明らかに私の準備不足でしたが、生徒の「自己責任」の可能性を実感することができました。

しっかり守ってもらう
2つの約束事

 今でもスキー合宿を行っていてご家族も参加できるのですが、保護者の方々は生徒のお行儀が良いことに驚かれます。それは、このようなイベントの時の約束事は2つだけですが、その2つだけはしっかり守ってもらうからです。
①時間を守る
②先生の話しているときはしっかり聴く

 「守れないときは、合宿途中でも家の方に迎えに来てもらうからね」と、笑顔で伝えます。

 これさえ順守すれば、何時まで起きていようが、ゲームセンターでお金を使おうが、自由です。遅くまで起きていて、翌日せっかくのスキーができないとか、お金がなくなってお土産を買えなくなるのも自己責任です。

 さて、想像してみてください。朝7時に小学生から高校生まで全員が食堂に集合し、先生の話をしっかり聴いている姿を。保護者の方は感動されます。

 以前、人がしっかり覚えておける指示は、2つまでと聞いたことがあります。今の世の中、特に教育の世界では、何かあった時の防御のために規則がたくさんつくられますが、そのために失敗が許されなくなります。

 私は、生徒たちの失敗はワクワクします。それは、その後に大きな成長を感じることができるからです。


仲野十和田
(なかの とわだ)

1964年(東京オリンピック)生まれ。東京都板橋区出身。1986年創業。開塾以来「生徒の自立」をテーマに、現在東京埼玉に7教室、つばさスクール(フリースクール)、つばさ高等学院(通信制サポート校)を経営。

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