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2017/9 塾ジャーナルより一部抜粋

ズームアップインタビュー 番外編
街の歴史とともに、代々木ゼミナール60周年

     

代々木ゼミナール副理事長
宮敏郎氏

 代々木の地で産声をあげ、今年創立60周年を迎えた、学校法人高宮学園代々木ゼミナール。代ゼミタワー校では記念事業として6月17日(土)から7月2日(日)まで「代ゼミ教育展」を開催。創立当時の懐かしい写真や映像、貴重なテキストが展示された。6月17日のオープニング講演では、副理事長の宮敏郎氏が創立者で祖父の宮行男氏について語った他、長年講師を務めてきた名物講師陣が代ゼミの歴史を振り返る講演も行われた。

 記念講演は最初に代々木ゼミナール副理事長の宮敏郎氏の挨拶から始まった。

 「創立者の宮行男は1917年生まれ。今年で生誕100年を迎えます。先代はアカデミックな道に進みたかったものの、家庭の事情で神官になりました。戦争が終わり、さまざまな仕事を経験した後、40歳のときに代々木ゼミナールを創立。2009年に亡くなり、2017年5月には代ゼミタワーの空中庭園にある日日是決戦神社に合祀しました。

 私は物心ついたときから『おじいちゃん』と呼んだことはなく、『理事長』と呼んでいました。幼心に、将来のボスとの緊張関係を感じていました。先代は非常にワンマンなところがあり、私は銀行に勤めていましたが、呼び戻されて、代ゼミの財務の仕事をすることになりました。その後、先代から留学を命じられ、米国ペンシルベニア大学で大学経営学を学びました。
 代ゼミの建学の精神は『日日是決戦』『親身の指導』の2つに尽きると思っています。先代はこんな言葉を残しています。『ここは若者たちの広場であり、教育の庭である。教育の庭で、こんなに真剣で逞しいところはない。そして、ここに集まった若者たちには大きな夢がある。この夢を育て、これを現実へと結びつける。これが代々木ゼミナールのレーゾン・デートル(存在理由)である。』。時代は変わっても、私たちの存在理由は学生の夢を現実にすることだと思います」

代々木は多様性と挑戦の街
創立者の魂は今も宿る

 「代々木という街はどんな街か。それは代ゼミのDNAにもつながっています。代々木は新宿、渋谷、原宿といった大きな繁華街に挟まれ、しかも新宿御苑、明治神宮、代々木公園の緑に囲まれています。アクセスがいいのに、働く人や住む人が少なく、ビジネスがやりにくい。そうしたことから予備校や専門学校が多く集まっています。

 そんな代々木には『多様性』と『挑戦』を尊重する風潮があり、代ゼミもその伝統を受け継いでいるのではと思っています。

 代ゼミの多様性を表す一人が、小田実(まこと)先生です。著書『何でも見てやろう』が有名ですが、ベトナムの反戦運動もしていました。小田先生は代ゼミの英語の講師であり、世田谷寮の初代寮監でもありました。

 挑戦では、先代は『Ever Onward(限りない前進)』という言葉が好きでした。その思いを引き継ぎ、現在もさまざまな改革を行っています。

 例えば、いま私たちは、『教育におけるICTの活用』、『グローバル人材の育成』、『高大接続改革への対応』という3つのテーマに取り組んでいます。

 ICTの活用に関連して、人工知能は東大の入試問題が解けるかというプロジェクトに協力しました。数学では東大の理Vレベルまで解けるようになりましたが、読解力が課題となり、現在の人工知能では、東大合格が難しいことがわかりました。次のプロジェクトとして、人間が文書を正確に読むことができるかを科学的に診断するテスト『リーディングスキルテスト』の開発にも協力しています」

 挨拶の後、宮氏にインタビューした。

 教育展で歴史を振り返ったことで、「代ゼミが教育業界にさまざまなインパクトを与えてきたことを改めて感じました」と宮氏は話す。

 祖父・宮行男氏については「いろいろメディアでは言われましたが、身近で見てきた者としては、ビジネスマンと教育者の両側面を持った人間だったと思います。そして、学問に対する憧憬がとても強く、学問を目指す若者たちへの愛情にあふれた人だったと感じています。私は亡くなってから寂しいと思ったことがないんですね。それは代ゼミの至るところに先代の魂が宿っているからです」と語った。

代ゼミはリベラル・アーツの場だ
講師は生徒の生きる姿から学ぶ

 その後、現代文・数学・英語の各講師から見た大学入試と代ゼミの歴史が語られた。現代文の酒井敏行先生は、自身も浪人して代ゼミに入学した経歴の持ち主。

 「当時、開かれていた教養講座の講師陣がすごかったですね。作家の野坂昭如氏や日本語学者の大野晋氏ら文化人の話にとても触発されました。また、ベトナム反戦運動をしていた作家の小田実氏が講師にいて、英語を習いました。『予備校なのに多様な問題を考える場のある代ゼミは教養(リベラル・アーツ)の場だ』と感じました。

 私は講師となって34年間、代ゼミにいます。なぜ、こんなに長く講師を務めているか。それは教えることを通して、私自身も教えられるからです。

 教え子の中には有名企業に就職したものの、東日本大震災の後、石巻で活動するためにその企業を辞めた生徒がいました。また、第一志望校に落ちた悔しさから、いつかその大学の大学院に進み、本を書くと私に約束してくれた生徒もいました。実は私はその約束をすっかり忘れていたのですが、あるとき、有名企業の役員の方が訪ねてきて『先生、これを批評してください』と本を差し出したのです。約束通り、彼は働きながら大学院で学び、経営学の著作を上梓したのです。こうした教え子が他にもたくさんいます。

 なぜ、彼らはそんな行動が取れたのか。それは代ゼミで学んだ経験が大きいと思います。大学受験は大事だけれども、それだけではない。そんな先代の理事長、副理事長、そして講師の教えを通して、生徒たちは自立していったからです。

 生徒たちは僕の教えを脱し、さらに遠く、そして深いところへと行く。それは僕の誇りです。講師は生徒から学ぶことができる。だから34年間も辞められないのだと思います」

会津若松から通学
教壇にお菓子の差し入れ

 数学の湯浅弘一先生は熱心な受講生が多かった時代のエピソードを披露した。

 「成田から高速バス、静岡からは新幹線で通う生徒もいました。一番驚いたのは会津若松から。月・火は仙台校へ、金・土は代々木に通っていた生徒です。東北大の医学部を目指して、めでたく合格。

 当時はよく生徒から講師へ差し入れがありました。アイスクリーム、牛丼、お菓子…、授業前に教壇に置いてくれるのです。私はその頃、体重100キロ。食べながら講義をしていました。あるとき、アイスを3個置かれた日には言いました。『頼む、1回に2個にしてくれ』(笑)。

 そんな時代でしたが、今より問題数をこなしていました。今は教科書の内容が減っているので、解説が必要な分、問題を解く量が減っています。現在、代ゼミの本科生は90分で3題扱いますが、当時は4〜5題。12題解いたこともありました。

 1970年代、講師は昼ご飯に店屋物を取ることが多かったのですが、不思議なことにラーメンやうどんがのびていませんでした。実は講師室裏に鍋が置いてあって、うどんが届くと汁と麺を別々にし、講義が終わると汁を温め直してくださっていたのです。講師への気遣いが最高でした。

 僕は28年間の講師歴の中で、途中3年間、別の予備校に行きました。戻してくれたのは先代の理事長です。僕が戻って来たとき、立ち上がって一言、『先生、時代は変わりました』。これだけでした。立って握手しただけ。あとは何も言わない。男ですよね。その男が作った代ゼミという学校をこれからも継承していかなければいけない。そのお手伝いをさせていただければと思っています」

時代に流されない人間を
作るのが代ゼミ

 英語の西谷昇二先生は時代背景を振り返りながら、代ゼミの変遷を語った。

 「1960年代はプロテスタントの時代。反戦運動や学生紛争も盛んな頃で、代ゼミの講義でも思想的な問題について講師と生徒がぶつかりあっていたと思います。1970年代はナルシズムの時代。生徒は内向きになり、僕が高知から大学進学で上京してきたら大学紛争は終わり、学内はすごく静かになっていました。

 僕が代ゼミに入る4年前、人生のターニングポイントがありました。親友を突然亡くしたのです。彼はギタリストを目指していました。

 今、若い人に熱くなれるのは、彼の死があるからです。自分の目標や夢を実現するプロセスで、タフさを、折れない心を若い人に持ってほしい。彼の死は、僕のエネルギーとなりました。

 講師になったのは1988年。代ゼミ全盛期の頃でした。500人以上入る教室の一番前に座るために3時間前から並ぶ、そんな凄まじい時代でした。授業の延長もガンガンやって、とにかくわかるまで帰らない。毎回講演会のような授業をしていました。

 『強い個性をつくる』それが代ゼミの特徴だと僕は思います。学生が自分の好きな講師を選び、個と個がぶつかり合う中で、確固たる内部を持った、時代に流されない人間を作るのが代ゼミです。

 0.02点足りなくて志望大学に落ちた学生もいます。たった0.02点です。彼は、僕も大好きな詩人イエーツの言葉『In dreams begin the responsibilities.(夢の中から責任が始まる)』を胸に、浪人して再度挑戦することにしました。
 その後、英語の偏差値は65から82になり、翌年見事合格しました。彼は物事の達成において、絶対に手を抜かない強い気持ちを、受験を通して身に付けられたと思います。

 2020年度の大学入試改革に向けて、英語の4技能が言われていますが、個として自分を確立していないと充実した内容を発信することはできません。システムの変更に浮かれていて、大事なことを忘れてはいけないと思います」

 17日はこの他、代々木ゼミナール教育総合研究所所長の佐藤雄太郎氏による講演「変わる教育、高大接続改革は大学入試の何を変えるのか」も行われた。

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