「超語りかけ体」で読者のツボを刺激
年号ではなく、事件、人物を時代順に関連づけて頭に入れよ。公立高校入試を間近に控えた生徒にこう檄を飛ばす塾長も多いのではないか。ところが、いざ教科書を開いてみると、どうも日本の歴史は尻切れトンボ状態だ。時代がスムーズにつながらない。それもそのはず、教科書を執筆する担当者は、時代によってバラバラなのだ。
読みやすく、受験者の記憶に残る日本史読本をつくれないか。そう考えた後藤武士さんが書いたのが、「読むだけですっきりわかる日本史」である。「読みやすさ」を第一コンセプトにするなら、マンガの右に出るものはない。が、マンガならその冊数は縄文から現代までで20冊はくだらないだろう。
そこで、後藤さんはマンガに代わる「読みやすさ」を文体に求めた。名付けて「超語りかけ体」だ。例えば、平安末期、源義経にまつわるエピソードはこんなふうに語られている。
──「判官びいき」などという言葉も彼から生まれた。史実の彼は出っ歯のブ男だったらしいけれど、今でも人気のある武将だね。──と。
テンポがよく、教科書にはないエピソードを取り入れることで、読者の海馬にすんなり収まる仕掛けが施されている。
「教科書には、日本人なら多くの人が知っている赤穂浪士のことが載っていない。実はこういうベーシックな事項を飛ばしている例は多くて、僕はこれらを網羅しようと思った。わかりやすいけれど、深いところまで書いているという本にしたかった」と、後藤流こだわりを見せる。これが受験者だけではなく、一般読者、ビギナーにも受けたツボかもしれない。
ただ、ツボの効用を発揮するのは並大抵ではない。教科書以上の歴史を取り上げるだけでも、そのボリュームは本来、上、中、下巻に匹敵する。なおも「超語りかけ体」を使用するため、紙幅はますます必要になってくる。これを1冊にすっきり収めるというミッションは、誰にでも果たせるものではない。限られた時間内に生徒を合格に導く塾長のワザなくしては、なしえなかっただろう。
「読ませる」と「わかる授業」は翻訳にかかっている
数々の著作をもつ後藤さんゆえの悩みもある。それは締め切りまでに脱稿しなければならないというストレスと、売り上げ部数によっては、その後の執筆依頼に影響を及ぼすというプレッシャーだ。そのため、「原稿を抱えている間は、夜、何度も目が覚める」と打ち明ける。
かといって、締め切りのない生活がいいかと言えば、それは後藤さんにとって失業を意味する。現在は17年続けた塾経営から一切、手を引き、作家活動を生業としているからだ。
著作がコンスタントに売れるかどうかは、自身の努力の外で決まる部分もあり、それがこの世界の怖いところ。「モテ期と非モテ期がはっきり分かれるのって怖いでしょ」と、少々ナイーブな面も見せる。いったん数字を出すと、その数字を基準にさらなる期待がかかる。売れっ子作家のつらいところだ。そして、それは売れっ子塾にとっても同じだろう。
後藤さんにとっての強みは「翻訳」テクニックをもっている点だ。翻訳といっても外国語を日本語に訳すのではない。知らない読者に、読者の知っている言葉に置き換えて理解できるようにする「翻訳」だ。これがアイデアの盗用が横行するといわれる出版界にあって、容易に真似することのできない元塾長の技術だ。
そして、この技術はわかる授業、おもしろい授業が求められる塾にとっても不可欠なテクニックだ。「読ませる」と「わかる授業」の共通点だろうか。では、なぜ、後藤さんは塾経営から手を引いたのか。その疑問に、実に率直に答えてくれた。「僕は『募集』がすさまじく下手なんです」と。経営者タイプではなく、職人肌だったようだ。
ここ一番というとき自分を救うのは…
一般に、本が一気に売れると、しばらくして、新古書店にその本がずらりと並ぶということがしばしば起こる。ところが、「読むだけですっきりわかる日本史」は新古書店ではあまり見かけない。読者は一気に読んで、その後どうするか。
「本棚に置いている人も多いのでは」と後藤さんは言う。
「書いておきながら、自分で言うのもなんですが」と前置きをしたうえで、「客観的に読んでみて面白い。なぜなら、書いたといっても、書いたことのすべてが頭に入っているわけではない。記憶が薄れている部分もあるので、読み返すと、『ああ、そうだったな』と納得する。調べものをするときにも使っている」と。実際、読み終わった後、辞書代わりにしたいから手元に置いているという声が出版元に寄せられている。
こういう嬉しい声が届くと、気持ちが入って、3週間で1冊を書き上げることもあるという後藤さんだが、逆に1年間全く書けなかったこともあったという。そういうときに無理して書いたものは、後に読み返すとネガティブパワーにあふれていて、プロの仕事とはいえないと、仕事に対しては厳しい目をのぞかせる。
では、そういうときはどうするか。結論を言えば、どうにかして自信を取り戻すことだ。後藤さんの場合は、気晴らしに石垣島まで行ったが、スランプからの脱出には至らなかった。半ば諦め、何となく偶然見たDVDがきっかけで再起を図ることができた。
DVDは、ある講演風景を撮ったもの。情熱が感じられ、思わず引き込まれる内容だった。すごい講演をやっている人がいるものだと感心して見ていたら、なんと、それは自分自身の講演を収録したものだった。「ああ、自分はこんな話をしていたのか、これ、自分だなぁ」と思った時、自信を取り戻し、立ち直れることができたのだという。結局、自分を救ったのは自分自身だった。
現在連載2本、単行本・文庫本5本のバックオーダーを抱え、後藤さんにとって眠れない夜はしばらく続きそう。だが読者はそれを待っている。
※編集部でのインタビューは3時間にわたりました。「家庭では“超主夫”をしています」とニコッと笑った顔が、とてもチャーミングで、違った一面を垣間見ることが。次回3月号では、後藤先生の開塾から閉塾までと、現在、塾経営をされている塾長へのアドバイスなどを掲載します。ご期待ください。
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