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中学・高校受験:学びネット

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2007/5 塾ジャーナルより一部抜粋

平等の不平等がある。学力に格差はあって当然!
教育的抽象論では生徒は守れないぞ!

瀧山 敏郎(たきやまとしろう)
大学講師(大阪工業大学、園田女子大学)・【衛星放送・スカイパーフェクトTV講師】・全国英語研究団体連合会理事・京都私立中学・高等学校英語研究会会長を経て、現在、東京・大阪を中心に教師を指導する教師として、教師アカデミーを主宰しその代表として活躍中。また大手塾・・高等学校(特に健全経営のための魅力あるコース作り)の顧問として、その経営と大学受験の指導にあたっている。
アメリカ・テネシー州名誉州民
著書 『英語長文の完全征服』【山口書店】・『滝山敏郎の入試英語に強くなる実況放送上下巻』【東進ブックス】・『滝山敏郎の入試英語ココから出る語法』【栄光出版】ほか多数
 

競争こそ生徒を伸ばす。再度詰め込み教育の大事さ。

最近、政府の教育再生会議をめぐって、野党の一部から、「大学入試をなくせ」とか「テストのための知識暗記や、詰め込み教育の受験競争自体問題である」という意見がある。私はそうは思わない。連載2で詰め込み教育の大事さを説いたが、再度わかりやすく説明しよう。すべての教科の基本的基礎知識は理屈なしにまず覚えることである。九九も覚えないで、数学もクソもないのである。漢字、ひらがなが出来なければ文章が読めないのである。基本的な英単語が出来なければ、前に進まないのである。小学校、中学校の段階でこの基本的基礎知識を詰め込んでおかないと、高校ではもう遅いのである。生徒は詰め込んでほしいのである。問題は何を詰め込むかである。教える側がおもいきって詰め込んでいないし、わかりやすく詰め込む工夫をしていない。言い換えれば手を抜いているのである。私は英語を教えているが、英語の出来ない生徒は、この詰め込みがないのと、本人の怠けである。何も教育行政の欠陥であると仰々しくいう問題ではない。勉強の出来る子は一生懸命にやっているのである。勉強の出来ない子は一生懸命にやっていないのである。
ただそれだけである。

先日の朝日新聞にも紹介している、遠山真学塾を主宰している小笠先生の書いた「教えてみよう算数」は障害を持つ子どもたちのための算数を教える指導法の解説本だ。対象となる生徒はダウン症や自閉症、学習障害を持つ子どもたちである。先生はこの子どもたちに「わかる算数」を工夫して、粘り強く教え、発達障害の子どもたちが通常学級の中にいてこそ意味が増すと説いている。まさしく、「出来る子」ではなく「わかる子」を目指している。連載1で述べたが、一人ひとりに合う「わかる教科書」の自主編成である。私の言う連載4の「教科の商品化」である。小笠先生は「わかる」ことにこだわっている。わからせる工夫は何ぼでもある。この先生の本を読むとヒントは本当に何ぼでもある。自分で「わかる授業」が思いつかなければ、「真似よ」と言いたい。

中学受験につまずいて今は高校三年生になっているAさんに会った。この女生徒は一学期の段階でクラス最下位であった。私が会って話をしてみると、基礎力がないことがわかった。とにかく大学受験を考えないで、一学期は受験科目の基礎を徹底的に勉強するように基礎の内容と勉強の仕方を指示した。成績が伸び出したのは2学期の後半になってからだ。真面目に、こつこつと手を抜かないでやりぬいた。そして、自分と競争したのである。結果、この春県立大学に合格したのである。ねばり勝ちである。真面目勝ちである。

この女生徒はこんなことを言っている「県立大学に合格したことはもちろん嬉しいけど、失敗ばかりしてきた自分でもやり通したことが嬉しい」と。涙の勝利である。

どうやら議員さんや教育エリートさんは言葉が先行しているようだ。競争というと悪いイメージがあるが、そうではない。子どもたちにルールを守らせ、正々堂々と戦わせることによって、自分の長所、欠点を自ら見つけさせることである。競争はだめだというなら、じゃあ将来をどう保証するのかと問いたい。正義?の言葉だけが先行しているのである。失敗することで、くやしさ、劣等感、しんどさ、みじめさを体験するのである。まさしく挫折を経験するのである。挫折の経験をしたことのない人間に人の哀しみがわかるのか。挫折も教育である。そしてそれを支えるのが教師であり、親であり、われわれ大人と違うのか。

だから、中学入試に失敗したAさんが這い上がったのである。

全国の学校、塾長、塾講師にこれだけは言っておきたい。
瀧山敏郎の話にならん20ヶ条「劣敗の必然性」

一.目標、理念がない。「どんな学校、塾にするんや」。特に中堅以下の私立学校は公立学校の下請け会社になっている。欧米ではプライベイト(私学)というだけで名門である。

二.ルールがない。トップに指導力がないから教師のやりたい放題。業務命令は憲法だ。正しいか、間違っているかではない。学校・塾で働く3ヶ条
(1)、その職場を正しく変える力を持て (2)変える力がないなら黙って聞け (3)聞けないなら辞めろ。

三.協力、協調性がない。人事の交流がない私立・塾は、同じ船に乗っているという意識がなかったら、いずれは沈んでしまう。公立は人事異動があるから人心一新ができるが、私立は異動がないのでできない。しかし半面危機に直面すると、一致団結する強さが私立学校にはある。

四.不平、不満、愚痴を言う前に何ぼでもすることがあるやろ。条件闘争、賃金闘争しかしない。生徒のために条件闘争をしたことがあるのか。

五.塾・学校は何を売ってるんや。わかってない。抽象的教育を売ってるのではない。

六.仏さんでは改革できない。自分のための人気取りをするな。

七.「共存共栄」アホちゃうか。「強存強栄」や。強いものが必ず勝つわけではない。勝ったから強くなったのである。ホントは弱かった。

八.能力と肩書きがまるで違う。有名国立、私立大学出身を前面に出し、自己主張をし、何の工夫もない授業。悪いのは生徒だと主張してはばからない教師。

九.負けは内的要因。外的要因ではない。責任はわれにあり。

十.一人は皆のため、皆は一人のためにの発想がない。

十一.勉強しない教師は去れ。Teacher's manualに頼っている教師が多い。

十二.下手な授業、営業が多すぎる。スキルを磨け。

十三.礼節がない。教育に携わっている奴ほど「社会性、社交性」がない。学校の常識は社会の非常識。

十四.挨拶もできない奴は去れ。生徒には挨拶を強要するのに教師がしない。

十五.生徒が減れば自分にも跳ね返る。どの面さげて金もらう。特に、私立学校の教員は生徒は勝手に集まると思っている。公立全入時代が来るぞ!

十六.ぬるま湯集団・相互不信集団・不満集団。自分が悪い。

十七.感性の鈍い奴は通用せん。塾・学校はサービス業、人間関連業。

一八.組織はその長の器量を超えては発展しない。ミスマッチのトップ・校長が多い。教育畑出身の校長の時代じゃない。

十九.制度、システムがない。問題によってその時その時の対応がバラバラ。負ける塾や学校ほどシステム、デジタル管理がない。

二十.生徒を大事にしていない。叱ることも、正すこともしない。指導力はゼロ、管理能力ゼロ。

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