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中学・高校受験:学びネット

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2005/1 塾ジャーナルより一部抜粋

まちで暮らせる大人になってほしい

  建築家  小見山健次  
     
 
まちの空洞化、いわゆる中心市街地の衰退が叫ばれて久しい。郊外地への商圏の移動で街なかへの客足がすっかり遠のいた。結果、街なかでの商店の経営は難しくなった。どこのまちの商店もそのせいで後継者がいなくなり、市街地の衰退に拍車を掛ける要素は日増しに堆積し続けている。
私の住むとなり町でも、かつての賑わいはすでにはるか昔の思い出話となってしまった。

魚屋が新装開店した

そんな町でこのほど、代々続いた魚屋が新装開店した。Sさんは私と同年だから、もう50歳を過ぎたが3代続く魚屋をお母さんや奥さんと共に営んできた。生まれも育ちもこの町。ご近所の方々が「お刺身ちょうだいっ」と声を掛ける下町の風情を背景に、大きなスーパーが賑わう中でも根強い人気を保ち続け、家族と共に3代に渡って商いを維持してきたのだ。そんなSさんが、満を持しての店舗計画を私に相談してくれたのは、もう2年も前のこと。先が見えない厳しい不況の時代が続く昨今、夢は膨らんでも資金調達はそうた易くはなかったらしい。文字通り満を持しての計画だが、これまで代々続いた鮮魚の小売と仕出し、家族の住まい、そして今回新たに挑戦することになった宴席計画…と、希望が目一杯に膨らんだ計画だったが、Sさんは着実にまちの将来を予測した綿密な構想を練っていた。『町にはきちんとした料亭もあるし、飲み屋さんもある。そうした店と競うことはしたくない。自分は魚屋だから凝った料理もできないし、ただただおいしい魚を安く食べてもらいたいだけ。お酒は冷蔵庫から出して自由に飲んでもらうだけでいい。むしろ持ち込んでもらっても構わない。子どもたちのクラブ活動のお疲れ会などにも父兄同伴で使ってもらえると嬉しい。とにかく敷居は高くしたくないんだ』と、まちでの商いの「住み分け」をきちんと考えていた。

親しく暮らす

人と人との良い関係は、互いを認め合い、仲良く暮らすことで成り立つ。まちではお互いが助け合い、補足し合えるような関係が築かれてこそはじめて共同体としての街の〈コミュニティ〉が生まれる。大手スーパーや、ファミリーレストランでは確かに安い買い物や安い値段での飲食ができるかもしれない。しかしそうした環境の中には本物の人の手になる“味”を直接言葉で確認し合えるようなかかわりは求められないだろう。パートさんたちが時間給で働く環境にそうしたこだわりや思い入れを求めること自体が難しいことだからである。

助け合う

新装開店に向けての建築工事は町で頑張る工務店さんが、大きな力を貸してくれた。私の設計内容と予算計画とでは厳しい限りの状況だったが、当の工務店さんだけでなく、Sさんの友人たちまでが店づくりから誘客にかかわる詳細なことまで、本当に頭が下がるほどに力を貸してくれた。これもSさん自身が、生まれ育ったまちにこだわり、自分の住むまちだからこそ、皆で協力し合える、真心のこもった関係づくりを大切にしてきて、はじめて実現したことだったはずだ。

広い視野

Sさんは高校を卒業してすぐにイタリアに渡り、料理の修業を始めたらしい。2人の息子にイタリアの都市の名前を付けてしまうほどに、イタリアにかぶれて帰ってきた。魚屋というと日本らしい、「和」のイメージがふさわしいようにも思えるが、彼は店のイメージをあからさまな「和風」とか「居酒屋風」にはしないでくれと望んだ。『パスタが出されてもおかしくないような雰囲気、若い人がカジュアルな気分でお刺身が食べられるように』とは、彼流の〈インターナショナルデザイン〉のつもりだったかもしれない。

まちの個性

今の子どもたちは、コンクリートやガラスでできた「箱」のような校舎で学ぶ。先日も地元の幼稚園の計画案を募る建築設計コンペがあり参加させてもらったが、当選したのは無国籍な、いわゆる「機能主義建築」であった。便利さを追求することは、無駄を排除することとも言える。遠回りすることは良くないことという発想だ。そうした意識は「遊び心」や「心の余裕」、ひいては自然との親しみ、自然や地域そのものと触れ合う心を衰えさせる。お金の厳しい、不況の時代は人の心を世知辛く、殺伐とさせるから、地域や土地の風土を温かいものとしてよしとする、かつての「地域主義」は今は流行らないらしい。どこの町も同じような無味乾燥としたデザインの建物ばかりで構成される結果となっているのに、大方の人々は自分の町の個性をどのように意識しているのだろうか。

温もりのある町

降り積もる雪や、強く吹きつける冷たい北風や、豊かな緑と共に生きようとする建築は概して評価されることが少ない。美しい樹木の庭は、落葉と草退治が大変だからと反対される。緑を楽しみ、落葉を楽しみ、建築は大地の恵みの一部として存在するような環境の中でしか、まちで本当に生きられる人は育たないのではないか。幼稚園や保育園でも木登りをし、泥にまみれて遊ぶ。建物そのものが遊び場となるような環境から子どもたちは自分の遊びと〈自分の世界〉とを発見する。本当は既製品の遊具なんて必要ないのだ。四角く切り取られた「箱空間」は何も生み出さない。
路地の続く迷路のような街並み、木の柱や土、古びて苔むした石垣や小さな水の流れなど、時を経てさらに美しさを増す自然素材の醸す〈親しみ〉や〈温もり〉が、人の心を落ち着かせ、その場への愛着を生み出す。巨大な店舗や整然とした街並みからは、深い人のかかわりや人の生活の場は形成されないと思う。遠くに見える山並み、近くを流れる小川、植物や動物が生活と共にある環境があって初めて、その地域への愛着が生まれる。両親や、おじいちゃんおばあちゃんと共に暮らす環境の中から、子どもたちにお年寄りへのいたわりの心が育まれる。小鳥や動物たちと一緒に暮らしてこそ、彼らの死にまで涙を流せる心が形成されるのだ。

まちに暮らす

“まちに暮らす”ということは、人と共に生きる、温かい仲間意識を育てることを意味する。そしてそれは同時に、すでに迎えている高齢化社会を気持ちよく生きるための真の「まちづくり」の方策かもしれない。少なくともそのための関係づくりの第一歩であるだろう。そんな意識が学校でも、そして学習塾でも、自然に生まれるような環境づくりがこれからは必要だと思う。子どもたちには、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に過ごすことのできる環境を様々な場面で与えてあげたいとも思う。

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