第3の改革として教訓的な入試センターの成立は学生気質の転回点か
さて第3の改革だが、これが言われたのは3度目である。最初は30年ほど前の中教審。学生叛乱のあとで秩序回復志向もあったが、復古では改革にならぬ。その時に問題になっていたのは、今の言葉で言うなら、IT教育と生涯学習。今にして思えば、なかなかいい線を突いていたなあ。
IT教育については、万能のコンピュータが管理するのが主流。MITからパパートを呼んでシンポジウムをしたことがあったが、彼に言わせればそれは観光ガイド型であって、親切なガイドさんがマニュアルに従って案内する。これに対して、彼の主張はプレイランド型で、人それぞれに自分の楽しみを見付けられるようなコンピュートピア。当時こちらは、パパートとぼくだけの少数派だったが、今はどうだろうか。
生涯学習は、いろんな世代の人間がそれぞれに学ぶので、初等中等教育中心の国家管理に反する。ITの方も、情報は拡散するのが当然。それで、国家管理志向の当時の文部省も内実は不賛成。文部省と日教組がイデオロギー的には対立しながらも、既得学校権益維持のために、中教審路線反対だったのは、典型的な55年体制で、今でもいろんな改革論議で見られます。郵政とか道路とかの改革と比較するのもおもしろい。
そのころにあった事件で教訓的なのは、入試センターの成立。あれは、あらゆる政党、あらゆる新聞の社説が賛成したが、ぼくは反対だった。当時は、価値観の多様化が話題になっていたころで、その不安からの国家的統一価値への一元化が底流にあったろう。共通1次世代といったことが言われたが、確かにあの時代が学生気質の転回点のような気もする。それが、センター試験の影響というより、その時代を象徴して入試センターがあった。
また、大学入試の統一模試の官製版として、「民から官」路線でもあった。当時、地方ごとにあった高校入試用の民間テストが弾圧された流れとも一致する。ぼくの意見としては、入試センターは個性的民営で3種類ぐらい、市場原理で競合し、大学はそこから成績を買えばよいという意見。今の民間の統一模試は大学の入試の現状に依存し過ぎている。
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